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豊橋連隊とも関係のあるサイパンが陥落し、本土空襲が本格的となって以降、軍需工場や名古屋を含む大都市への空爆は既に大規模に行われていましたが、この頃、小都市への空爆も本格化していきました。
61年前の今夜、岡崎への空襲はついに大規模に行われました。アメリカが何を考えて岡崎の空爆を遂行したのか、戦後書かれた当時の米軍司令官カーチス・E・ルメーの報告書を参考にふれておきたいと思います。

岡崎は主として名古屋の大工場の下請け仕事をしている。多数の小工場があるので重要である。さらに、同市周辺地域には多数の中規模工場と少数の大工場もあり、これらは、すべて食糧、住居、交通を岡崎にたよっている。同市の人口は84,073人で人口密度は1平方マイルあたり約3万人から5万人である。


カーチスは空爆の意義についてこのように書いています。岡崎以外の空爆作戦資料でも”人口密度”が指標になっており、弾薬何トンあたり、もしくは弾丸1つどれだけの効果(こちら側としては犠牲)があるか念入りに調べられていたことがわかります。

この地域は高度密集していて燃えやすく上述の2種のナパーム弾の迅速発火セットで簡単に焼きつくせるものと信じられた。


日本は高密度にして木造家屋、空爆する側にとって格好の獲物と思っていた様子。

補足:2種のナパーム弾(同報告書より)
M47親焼夷弾・・・即発弾頭
M17親焼夷弾・・・目標上空5000フィートで開く

(引用:小田孝芊編 小田博訳 岡崎空襲に関するカーチス・E・ルメー司令官の報告書(昭和五一年七月十日発行) 岡崎市史)
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