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岡崎イベント-モディリアーニと藤田嗣治とエコール・ド・パリ展
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では引き続き、時局に合った話を。
藤田嗣治が海軍省嘱託として武漢(漢昌、漢口など)へ従軍していた記録は、藤田嗣治のエッセイに詳しく書かれていますが、ペン部隊と違ってその場でさらさらというわけにはいかないので、帰国してから描きました。

・・・帰国後藤田は三点の油彩を完成させた。「南昌新飛行場爆撃の図」、「漢口突入の光景」、「雲の上の空中戦」である。この三点を見ると、戦争画としては奇妙な作品となっていることに気づかされる。・・・
(近藤史人著「藤田嗣治 異邦人の生涯」より)


八洲治は「戦争は勇ましい、胸躍る」なんていう戦争画は描きたくないと言っていましたが、藤田嗣治の武漢従軍の戦争画も、その激しいイメージを与えるタイトルとはかけ離れ、「戦争の凄惨さはかけらもない」絵になっていると著者は感じたようです。

つい先月、藤田嗣治の関連本、および画集を観るまで「戦争画」から想像していたのは、(八洲治のイメージに近い)「日章旗を掲げ、常勝日本軍 敵を撃破す」のようなイメージであって、載っていた「アッツ島玉砕」「サイパン島同胞臣節を全うす」の悲惨な光景の絵を観たときは正直驚きました。

したがって、すべて「戦争画」=「戦争は勇ましい、胸躍る」というわけではなかったと伝えておきます。
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戦争画は戦意高揚のため軍部が推し進めたもので、各地の「聖戦美術展」で、終戦までの間に5千点以上公開されたようです。

生活のために描く者、出征行く兵士を応援するために描く者、自分の書きたい絵は他にあると弾圧に屈せず描かない者いろいろな画家がいたと思いますが、すでにエコール・ド・パリで有名であった藤田嗣治にとっては、描きたい・描きたくないという意思とは関係なく、軍部からの要請に従うしか選択はなかったと想像します。戦時中、有名な歌手が慰問に戦地に赴いた話などは聞いていましたが、藤島武二らと大陸へ派遣された藤田嗣治の従軍記の、藤田嗣治の上海到着を待っていたのが、海軍班の文壇部隊として先に従軍していた菊池寛、吉屋信子、吉川英治、佐藤春夫らだったし、その後、帰国時には山田耕筰一行と入れ替わりになったそうです。

後に戦後、当時ほとんどの画家が戦争画を描いたのにもかかわらず、これも著名なせいか、ほとんど”戦犯”に近い扱いを画壇から受けながら日本を永遠に去っていったそうですが、「湖畔」などの作品が重要文化財にも指定されるほど評価の高い今話題の日本美術の巨匠 黒田清輝も、1894年日清戦争に従軍し、戦争画を数点描いてたのです。
今週の「純情きらり」は絵画の週ということで、きらり旅も絵の話。
23日まで京都で大規模な藤田嗣治展をやっていますが、岡崎のエコール・ド・パリ展にも藤田嗣治の作品が展示されています。逆に言うと、藤田嗣治展には飾られていない絵が観れるわけです。

そんな藤田嗣治の絵を観ていて気になることがあります。

「Foujita」とサインが入っていること。

藤田嗣治関係の本を読むと「Foujita」と「Fujita」のどちらも使用されていて、それが何点と何点だとかいうことは載っているのですが、何でそうなのかがわからなかった。

そんな時、藤田嗣治にとって画風の違いで折り合わなかった黒田清輝の展覧会に行ったら・・・

なんと「KOURODA」とサインが入っている!

あらら、もしかして”こういう”もの?小泉首相も「KOUIZUMI」になっちゃうの?どうしたことかと思ったのですが・・・黒田清輝展のシロウト向け解説のおかげで、じっちゃん、すべての謎が解けました。

「KURODA」でなく「KOURODA」のほうがフランス語読みで「くろだ」に近い発音となるからです。


そうか二人ともパリにいたんだった。思わぬ発見に胸が熱くな・・・えっ、そんなの常識?Foujitaの本に書いていなかったのは、著者にとっては当たり前すぎて書く気もしなかったのかな?

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